『大雨おんな』作品サンプル




=冒頭の筋書き=


 小京都と呼ばれる地方の城下町。練塀や板壁をめぐらせた古い屋敷が並ぶ町の一角で、私は女の独り住まいをしている。
 秋口の休日。朝からの雨にめげず溜まった洗濯物を片付け始めたものの、ふとした失敗で憂鬱になり、布団にもぐって嫌なことばかり思い出す私。
「そういえば、また間違えられた……」
恥ずかしいぐらい背が高く、そして肩幅だけが人より少し広い、自分の外見。年がら年中、後ろから男と間違えられてばかり。運動オンチなのに、大女というだけで各種の運動部がしつこく勧誘に来る。さらに、その気は全くないのに同性たちから恋愛の対象にされ、のみならず自分をめぐってドロドロした争いが勝手に起こり、それに巻き込まれ………。
「…あ!」
 そこまで思ったところで、私はお気に入りの浴衣を思い出した。
 白地いっぱいに、竹やトンボを図案化した赤紫の模様が走る浴衣。それに、藤色の半幅帯。
 この格好をした自分の姿だけは、「女らしい」と思える………そのせいか、着物に限らず昔から和物が好きだった。それが昂じて日本文化史を専攻し、そのまま院に進んでしまってるぐらいだ。
 ウソみたいに気分が晴れ、そして外を見ると雨も小止みになっている。
「よーし、旬のお魚でも買ってきて、夜はお刺身の盛り合わせでパーッといくか!」
私はウキウキしながら買い物へ出かけた………「小雨の時に出かけると大雨を呼ぶ、『大雨女』」。 自分のそんな「体質」も忘れて……。

 …それを思い出した時には、もう手遅れ。アパートから少し離れるや雨脚が強くなり、私は傘が役に立たないほどの大雨に叩かれまくっていた。冷たい秋雨。人通りのない古びた町並みが余計に寒さを感じさせる。さらに……
 びしゃっ!
「ぎゃあああっ!」
 バス通りを渡ったところで、車が通り抜けざま、私の背中に水を浴びせていく。
 ガクガクガクガクブルブルブルブル……………背中も肩も足下も寒くて寒くて寒くて、上下の歯が小刻みにぶつかり合って止まらない。おまけに背中の濡れ加減からすると、お気に入りの浴衣も帯も泥水でグショグショなこと請け合いだ、あーあ……。
「ん?」
 と、背後に一筋だけ、暖かい空気。
 後ろを振り返ると、鮮やかな藍色の暖簾が目に入った。
「なに屋さんだろ?……ってか、こんな店あったっけ?」



=ここから本文=

 こぢんまりした和風の構えからすると、甘味処か蕎麦屋、あるいは居酒屋といったところだ。
「……………」
 それはいいとして、ここに店があったという記憶がまるでない。さりとて新装開店にしては、古い家並みによく溶け込んでいる。しかしどっちにしろ、バス通りのこっち側はただの裏通りで蔵屋敷も練塀もなく、観光客は入ってこない。土地の人の姿もまばらだ。甘味処だか蕎麦屋だか知らないけど、商売になるんだろうか……。
 …でも、そんな風に考えたのも一瞬のこと。
「なんでもいいから、あったかい場所であったかいものを!」
 しがみつく様な気持ちで格子戸を開けると、白熱灯の灯りの下に、年季の入った木の机が並んでいた。机が並ぶ向かい側は小上がりになっている様で、細かい格子の先に畳が見える。蕎麦屋か居酒屋らしいが、豆粒大の白熱灯が照らすだけの店内はあまりに薄暗く、そして少し空気がカビ臭い。
「…準備中?」
それとも、大昔に飲食店だった廃屋なのか。柱や壁の黒ずみ具合は、薪で煮炊きしていた時代のそれだ。
 しかし空気には温もりがあり、飴色に照らされた机にはチリ一つない。そして外で感じたのと同じ、何かを茹でている湯気の匂いも漂ってくる。

「あのー!すみませーん!」
 とにかく、入って腰を落ち着けたい一心で、私は薄暗い店の中へ呼びかけた。
 すると、
「のーう、おちぃちゃん、お客さんおすぇー」
小上がりの奥から、人の頭らしきものがヒョイと顔を出し、奥へ向かって声を張り上げ、そして引っ込んだ………京都の芸妓さんみたいな言葉遣いだが、声の主は男。ここでその言葉遣いを聞いたことに私は軽く驚いたが、その理由は追い追い記す。
「はぁーぃ」
 男の呼び声に応じて澄んだ声が響き、やがて、襷がけした小袖に前掛という姿の、かわいらしい女の子がパタパタ駆けてきた。
「い、いらっしゃいまし」
 言って、彼女は少しの間だけ私を見上げたが、すぐに下を向きながらヒョイと振り返り、あとは後ろ姿でもって私を椅子席へと案内する。そして私が席に着くかどうかのうちに、
「あのぅ、なんにしましょ?」
「ちょ、ちょっと待って…」
それでなくとも、寒さから逃れたばかりの私は歯の根がガチガチ言っていて、注文どころじゃなかった。
「おちぃちゃん、ついでにこっち、天ざる一つぅ」
「あと、お銚子おかわりぃ」
「あれ?もうないんかいな…」
「『あれ?』て……アンタがあれだけ飲んだら、そら空くわなぁ」
女の子の背後、小上がりの方から男二人の間抜けな声がする。おかげで蕎麦屋だというのは分かったけど、私は震えで頭に血が昇っていて、とっさに温かい蕎麦の名前が出てこない。
「…なんでもいいから、あったかい……いえ、熱ーいのを!」
「……熱いの、おすかぁ?」
「そうっ!すぐに!」
「は、はい…」
 女の子はポーッとした顔で私の注文を聞いていたが、やおら後ろを向くや、裾を翻しながら小走りで奥へ。まだ仕事に慣れないのか、口調や動きがぎこちない。無理もないことで、黒髪を子どもっぽく結んだ彼女はまだ幼く、せいぜい十三、四だ……って、そんな年の子を雇ってよかったっけ?!
「まあいいや…家族か何かでしょ」
 すぐ近くに火鉢があるのに気づき、私は赤くおこった炭に手をかざす。手が暖まるだけで、体がみるみる落ち着いてくる。
「火鉢って、こんなに…あったかいんだ」
そのことは意外だったが、店には他に暖房装置らしきものが見えず、やはり心細い。
「今流行りの、『レトロ風』のお店なのかな……」
…けど、それにしちゃ妙に徹底しすぎてる。今日びの「レトロ」がイメージする大正期あたりをリアルに真似るなら、たしかに照明は暗い裸電球だろうし、暖房が火鉢だけというのも普通だ。でも、薄暗くて少し先すらロクに見えぬ店に客は入らない。
 いや、客はいた。
「さ、どぉぞ」
「ほ、すんまへん」
聞こえる話し声に斜め前を見ると、小上がりで男が二人、差し向かいで一杯飲んでいる。先ほどからの声の主。私からは片方の男しか見えないが、彼は紺絣の着物の襟をくつろげ、下は尻っ端折りにしているのか、あぐらをかく脚は股引一枚。短く刈り揃え、茶色い鳥打帽を乗せた頭を傾けて……今、マッチの火を移そうとしている煙草は、よく見ると両切りだ。
 あまり大きくない商家の手代、といったところか。
 …などと思わず時代めいたことを考えてしまったのは、男の着こなしがあまりに自然だったのと、それから彼らの言葉遣いだ。
「よぅさん、降りますなぁー」
「明日もこうおしたら、お得意回り困るなぁ…」
「けど晴れたとて今の景気じゃあー、お得意回りも大したことおへんなぁー」
「そしたら雨でも、同しことやなぁ…」
中世に京の文化が移入された時以来という、この町特有の言葉―――そして戦後ほどなく廃れてしまったという「お町言葉」で、目の前の男たちはしゃべっていた。言葉遣いもイントネーションも、そして間抜けなぐらい呑気な調子も、歴史資料館の古いテープに残ってるのと同じ………これはいったい、どういう訳なんだろう……。
「…おまちどぉさん」
「うわ!」
 いきなり真横から女の子の声。いつの間に………それはそうと、彼女も「お町言葉」だ。着付けにも襷がけにも「毎日そうしている」という感じが漂う。柄物の小袖は洗いざらしだが、それも衣装として着ているのではない証拠だ。
「あ、熱ぅ!」
 叫びながら女の子がドンと目の前に置いたのは、燗酒を満たしたお銚子。それからお猪口。
「たしかに『熱いの』とは言ったけど……てか、いまどき熱燗のことをそんな風に言うか?」
…とはいえ私は、どちらかと言えば飲める方で、そして、とりあえず嫌いじゃない。
「たまには、いいか」
私は猪口を取り上げながら、もう片手を銚子の方へ伸ばした。と、色白の手が銚子を傾けている。
 見上げると、酌をしようとする女の子の頬がかすかに赤い。そして私を見る目が、心なしか潤んでいた。
「……またかよ」
 彼女のぎこちなさの謎が解けて、私は嫌な気分になった。女の子には少し気の毒だけれど、相変わらず私の性に合わないし、それにやっぱり、自分が女なのを否定された気がする………ちなみに、そういう向きが市民権を得はじめたのは昭和初期、目の前にいる少女みたいな年代の間でのこと。ただし、女学生が流行に熱せられてそういう気に…という手合いも多かった様だが。
「ありがと」
私はとりあえず受けて、ぐっと干し、それから「手酌で行くわ」というジェスチャーをする。女の子は銚子を置くと、お盆を胸に抱えながら下がっていった。でもその後も、店の奥、厨房の入口らしき場所にモジモジとたたずんでいるのが見えた。

 とにかく、もう一杯。
「…くぅーっ!」
燗で飲むのがもったいないぐらい上等の日本酒。それが食道を下っていくにつれ、体のそのあたりが暖まっていく。
 飴色に照らされた机を見ると、突き出しの小鉢に巻き貝が盛り上がっている。
「そのへんの溝で、取ってきたんじゃないでしょうね…」
町を流れる川や水路に、こういう黒い巻き貝がいる。食べられるかどうかなんて考えたこともない。箸でつまみ上げ、少しためらってから、口をつけて前歯で身をむしる。
「おいしい!」
茹でただけでロクに味もついてないけど、歯ごたえやボリュームがあって、それだけで十分だった。
 それを飲み込むとお酒がほしくなって、お酒を飲み下すと巻き貝が食べたくなる………。お銚子と小鉢とが空くのに、そう時間はかからなかった。
「いいお店、見つけたかも…」
障子戸の向こうには雨音が聞こえ続けているが、私はもう寒くもなければ、陰鬱な気分もしていない。薄暗く、歳月にすっかり黒ずんだ柱や壁に囲まれた店内すら、
「これぐらいの明るさが、一番落ち着く」
と思えていた。



「嬢さん、おひとつ」
 と、小上がりにいる二人連れの片方が、身を乗り出して銚子を傾けてきた。
「…え?」
私からは見えなかった方の男だが、格好は似たり寄ったりだ。もう一人もニコニコしながら、杯を受けるように勧めてくる。
「タダのご挨拶おすから心配のぉて……ウチら、そぉんな怪しいかなぁ」
「うーん、まぁアンタは怪しいなぁー」
「何やぁ、自分だけぇ」
…その、のんびりとした速度の掛け合いが何とも面白くて、私は
「じゃ、いただきます」
笑いをかみ殺しながら、遠慮なく杯を差し出すことができた。
 できた、というのは、彼らの
「お町言葉」が先ほどから気になっていて、そのことを尋ねてみたかったからだ。
「あの………」
でも、いざ聞くとなると言葉に詰まった。
「この土地のどこかに『お町言葉』を残してる一角があるんだ…」
私は最初そう思った。けれども、飴色の薄明かりの下で男たちの話し声を聞くうちに、
「…もしかして、大正昭和の世界に私が?」
そんな気分でいっぱいになってきた。もちろん、そんなことあり得ないのは分かってるけど、
「今は何年ですか?」
という非常識な質問を口走りたくて、今の私はたまらない。
 …とにかく杯に口をつけると、注いだ男が目を見開きながら尋ねてきた。
「嬢さん、よそから来られたお人やね」
「ええ。東京から…」
「東京!」
二人は一瞬だけ顔を見合わせてから、あらためて私の方をまじまじと見た。
「へぇ……」
「どぉりで。スラリとしてて、小粋やものなぁ」
「『小粋』なんて読物みたいな…東京なんかアンタ、見たこともないくせにぃ」
「けど、ウチは大阪行ったことがある!」
「知っとる。ウチに連れられてな」
彼らの目に芝居の色はない。なおかつ珍品を鑑賞するというよりは、ごく素朴に、きれいなものに見とれる眼差し。
「ひょっとして、嬢さんやのぉて……どこぞの役人さんか先生の奥さんおすか?」
私に二杯目を注いでから、男の片方が軽く居ずまいを正して言った。
「おい、違ぉたら失礼やないの」
「合ってて小娘扱いじゃ、もっと失礼やぁ」
東京から来た官僚や教師の、若奥様―――もちろん現代のそれとは、まるで意味合いが違う。冷静になろうとして飲み干した杯が、かえって気持ちを舞い上がらせてしまう。
「ふふっ………違うけど、失礼じゃないわよ。独りで、ここの大…じゃなくて師範に来たの」
通う大学が旧制の師範学校を母体にしているのを思い出すや、私はためらいなく言い直していた。
「へぇ、師範の女先生!……まぁまぁ、ようこんな店へ」
「ううん。いいお店よ」
「けど…こんなえぇ女が先生じゃ、勉強どころやおへんなぁ…」
三杯目を注ぎながら、男の一人がまぶしそうな目をする。
「アホ、女先生なら教わるんは女の子や…」
もう一人も小声でツッコミつつ、小さく口を開けている…。
 男たちは少し大仰だけど、ほろ酔いも手伝って、私はまんざらでもない気分だった。同年代の異性―――二人とも私といくつも違わない―――から、美しい大人の女性として遇されている。今までも「かっこいいね」などと言われたことはあったが、それは太った女性を「ぽっちゃり」と表現するのと同種の気遣いでしかなく、相手の目にはいつも戸惑いや憐憫の色が見て取れた。けれども、今は……。
「そんなに見ないで………私なんか、ただの大女じゃないの」


【 サンプルはここまで。以降は12/30発行の本編にて 】




作品紹介ページに戻る

.

[PR]空いた時間に副収入GET:簡単作業!在宅ワークで副収入